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くすの木

  • くすの木
    私が幼少の頃、自宅近く(母方実家)にあるこの”くすの木”の下でよく遊んだものです。初めて自転車に乗れた時もこの”くすの木”の下でした。無邪気だった自分を思い出しながらこのブログを綴っています。

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市民(あなた)への約束


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2007年1月15日 (月)

「母べい」のセツトにちょっと感動

当社(不動産)は15日が支払日である。したがって支払い先の明細を確認する事から今日がスタートした。尚且つ月曜日でもあり土日に出来ない仕事や電話連絡をしたり、2件の営業訪問も午前中にこなした。

昼食をはさんで、午後から市役所へ移動した。登庁ボタンを今年初めて押した。自民党控え室の自席机上には案の定、書類が溜まっていた。(役所からのご案内や出版物は机上配布される事が多い)

教育総務部へ行き部長と話をした。(内容は書かない)もう既に他の議員達は選挙バージョンの為が登庁している人は少なかった。用件終了後、映画「母べい」のロケセットがほぼ出来上がっているとの事なのでスキップシティーの第2工区へ行ってみたら戦後の商店街の町並みが再現されていてちょと感動した。(吉永小百合がここで撮影する)

午後5時、新郷連合町会と民協の合同新年会に出席した。挨拶、乾杯後、全てのテーブルでお酌をした。私はあまりお酌をしないと言うか、お酌が下手だと思っている。

ただ、町会長や民生委員として地域に貢献している方々ばかりなので、日頃の労をねぎらうつもりでお酌をした。そうこうしているうちに、カラオケをやれと言う事になり「涙そうそう」を唄った。議員で唯一、唄ったので少しは盛り上がったと思う。

今週は、全ての日に宴席が予定されいる(多い日で4箇所)新年会のピークだ、カラオケ後帰還させてもらった。

2007年1月14日 (日)

急なご逝去に接して

会社に出社後、決済書類に目を通して、不在時の出来事や連絡事項等スタッフとの打ち合わせを行った。自分のPCに向かい事務的な仕事を処理して3時を過ぎた頃から挨拶回りに外出した。

挨拶回りと言っても1月中に向かっている先は、2月からフルパワーで効果的に選挙運動が出来るようにする為の下地造りであり今の時点、今だからこそ伺った方が良いと判断している個人、組織だ。

行った先が意外と不在宅が多かった。自動車で移動中、午後5時近くになって後援会幹事長から携帯に訃報の連絡が飛び込んだ。

父の代から公私共にお世話になっている後援会相談役でもある方の奥様が急死したとの事だった。さっそく弔問に伺った。ご主人である相談役の話によると、朝いつものとうりに起きて普通にしていらたしく午前中畑に行って作業中急に倒れて、そのまま意識を失い帰らぬ人となったとの事。

あまりにも突然で、まだこの事実を受け入れる事が実感として出来ないと話されていた。享年77才。ご冥福をお祈り申し上げたい。17日のお通夜には、多忙な日程を割いても参列するつもりだ。

人間の一生を終える瞬間は、誰しも何時訪れるか知りえる事は出来ない。一瞬、一瞬を悔いなく生きる為に明日も心して考え行動していこうと思った。

冬空の下で震災消防総合演習 

今日は、午前9時半からの埼玉県南支部ダンススポーツ大会の開会式に出席する事から始まった。挨拶ではコンペティターの視点に立った話をさせてもらった。また、川口市ダンス連合会が主管だった為、大会役員に顔見知りが多く出席し甲斐があった。

開会式終了後、即座に移動。震災消防総合演習が行われている荒川河川敷に向かった。これは毎年川口市の消防本部や消防団が中心となり行っている大地震が発生したとの想定した総合演習だ。(新郷の第6支団も活躍)

晴天とは言え寒風が吹く冬空の下、関係皆様の勇壮な訓練風景にただただ頭が下がる思いで見学をした。

終了後、赤井町会新年会に出席の為、車を飛ばした。12時開会に余裕を持って間に合った。会場である町会会館は100名を有に超えて溢れかえっていた、開会時に議員は私しかいなくとても有難い環境でご挨拶をさせて頂いた。

帰り際に挨拶の為テーブルを回ったが、町会長を始め、顧問、民生委員、役員、老人会、ミニテニス関係者等だいぶ知り合いが増えたものだと感じた。

1時半頃、会場を出て会社に出社した。

2007年1月13日 (土)

区画整理の新事務所(東部)予定地

今朝の埼玉新聞の一面でさいたま市が来年度より、順次公立小、中学校の一般教室にエアコンを設置するとの記事が掲載された。やられた!一瞬の敗北感と羨望が脳裏をよぎった。今後、この件は他の自治体に大きな影響を及ぼす事になると思う。

さて、今日は午前中はゆっくりさせてもらい正午から動き始めた、まずは今日やる事のひとつ、選挙用の新しいチラシ(幾つもある)のデザインを考える。

PCでエクセルをベースに写真を貼り付けたり、文章はワードアートでちょちょと変化をつけてレイアウトした、出来きは?「んっ。こんなもんだなぁ」自分で勝手な判断。さっそく印刷業者へメールで送った。(これについては数日後の校正を待つ)

続いて、外貼り用のポスターを3箇所(榛松、峯、大東)へスタッフK君に手伝ってもらいながら設置した。

午後3時を過ぎると風が冷たく寒さが沁みてくる。支持者の皆様がこうして寒空の下一枚、一枚ポスターを貼って頂いていると思うと改めて感謝の念を抱いた。

道中、新郷保育所近く中山大蔵氏の所有地(区画整理事務所の建設予定地)が随分さっぱりしたと言うか、大きな樹木の抜根が今までの風景を激変させていたので写真を撮った。

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夜は2件の新年会からお呼びがかかっていた、最初は、地元ミニテニスのメンバーが集まる新年会だった。乾杯後、4月の選挙に関し現在の状況分析の質問がでた、明らかに私への気づかいが感じられた。(ご期待に沿えるようがんばります)ゆっくり歓談が出来ない事が申し訳ないと思いつつその場をあとにした。

続いて、大東町会の新年会に7時開会直前に会場入りした。8時半頃になって新藤代議士が到着。挨拶の中で自然と市議会議員の話に触れ「出来たら板橋議員をお願いします」と言ってくれた。若干の拍手が沸きあがり嬉しかった。

こうした時の代議士からのさり気ない応援はとても有難い。その場で即座に正座して頭を下げた。そして代議士と交代のようにして会場をあとにした。

2007年1月10日 (水)

新郷東部第2の進捗

今日は、会社は定休日だが選挙を前にした議員には休みは無い。朝8時半より新事務所の墨出しに立ち会った。その後、新年の挨拶回りを開始、不在宅は名刺に一言を添えてポストに投函。

自動車で移動中にふと気づくと、新堀(なかよし広場)の区画整理事業が意外と進捗していた事に安堵感を覚えたので写真を撮る。

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午後5時から、商工会議所の賀詞交歓会に出席、フレンディアの会場がMAX状態でも万来の来場者、川口市の政界、財界が勢揃いと言った感じで名刺こそ配らないがあちらこちらで挨拶のしっぱなし。

もう時間がない!新郷に戻り消防団の第6支団第1分団本蓮支部の新年会に開会前に滑り込んだ。会場では、新郷分署長から素晴らしい提言を受けた(内容は秘密)是非実現すべく尽力したと思った。

あっ、もう9時をまわる明日の為に今日はこれで帰還。

2007年1月 9日 (火)

親戚の立場

今日から会社(不動産)の仕事始めだった。年が明けてから、2日と空けずに会社事務所へ行っていたが新聞、郵便物(年賀状)、FAX、留守電、PCメール等が日々積層されていく、したがって情報整理を出来るだけ早めに済ませる為に午前9時が業務開始なのだが8時頃には出社した。

案の定、書類の整理をやっていたらあっと言う間に8時50分、スタッフの出社とほぼ同時に口開けのお客様が来られバタバタと新年がスタートした感じだった。

そして、新年の挨拶回りに来て頂ける協力業者、休み明けを当て込んだ電話や来客等で大繁盛(人波)の午前中であつた。

お昼からロータリークラブの新年例会に出席。午後2時より選挙事務所建設に関しての打ち合わせを建設業者と済ませた。明日から着工するが完成後の什器備品の購入などを含めると益々忙しさが増してくる、選挙の資金計画も考えなければならない。あまりの決め事の多さに頭を掻き毟りたくなる?(あくまでも比喩表現、頭が薄くなるのでやらない(笑))

夕刻頃から、年末会う事が出来なかった親戚宅に挨拶に行き祖母の一周忌の事や選挙体制などいろいろな話をする事が出来た。

議員の親戚として日頃から微妙な立場を余儀なくさせられてしまう事への感謝を忘れてはならない事を改めて実感した。

さぁ、今日は夜間行事が幸い無いので自宅で選挙戦略を練るつもりだ。

2007年1月 1日 (月)

平成19年、勝負の年

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新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

今年の新年(午前0時)も例年どうり東本郷氷川神社で初詣をさせて頂いた。もちろん一番の願い事は、4月の必勝。

参拝の後は、甘酒を頂きながら、総代長(私の後援会長)と総代の皆様方とテント内で談笑。途中ぞくぞくと地域の皆さんが参拝後、私や総代長の顔を見つけては、ご挨拶に来て頂いたり、こっちが見つけてご挨拶したり。

皆さん一様に、「板橋さん今年は大変だね、がんばって下さい」暖かい励ましの言葉に早くも勇気が湧き揚がってくるのを静かに抑え「はい!がんばります」微笑みうなずく私でありました。

大晦日のTVで、占いの細木さんによると、天王星人(-)の私は、達成で12年に一度の一番良い年らしく何でもやる事が上手くいくとの事。(ほんとかなぁ?)占いと言えども悪い情報よりはよっぽど嬉しい。

今年は勝負の年、謙虚に油断せずに着実にやって行こうと思う。

2006年12月29日 (金)

若年性痴呆?

今日は、不動産の仕事納めだった。また、議員としての挨拶回りもほぼ午前中で完了し、最後に前議員であった山﨑幸一先生のお宅へ行ってお線香を上げさせて頂きながらもろもろを報告させて頂いた。(今までのご厚情と来年の必勝を誓った)

不動産屋としても議員としても先程行ったお通夜2件で今年の全ての対外行事は終了。

最近妙に忘れっぽくなった、手帳に何でも書かないと不安でしょうがない。自分の記憶力が信用出来ないでいる。若年性痴呆か?疲れか?疲れ、疲れ。その証拠に11月8日(水曜日)から、丸一日の休みがここまで一切無かった事に気づいた。

明日は丸一日休息を入れようと決めるには充分な理由だ。明日はボーッとする事に専念しよう。

2006年12月26日 (火)

誤算の雨

今日は朝から雨模様だ、予報では今夜から明朝にかけて大雨らしい。朝出社後、スタッフと打ち合わせをし、こんな天気でも(だからこそ)今日どうしても行きたい数名の支援者のところだけ挨拶回りをしようと外出。

「あらっ、板橋さん雨の中、ざわざわ・・・」、不在のところは、傘をあごで押さえながら名刺にへたくそな字で一言を添えポストに投函。

雨が強くなってきて、車の乗り降りで洋服が濡れるのは想定済みだったが、お渡しするはずの資料も濡れてしまった、これはまずいと思い途中で断念。

暖冬のせいであろうか例年だったら雪なのかもしれない、だったら大雪の方がまだ諦めがつくのに・・・。

いずれにしても、夜は忘年会一件と地元町会では夜警が今日から始まるので顔出しをするつもり。(雨で中止かも?)

2006年12月24日 (日)

聖夜

今日はクリスマスイブ、加えて日曜日。当然のようにスーツ姿で会社へ出社。

10時から、地元中学の30周年事業の準備会議に出席した。学校の周年事業は、地域の皆さんで創り上げるものだと言う事を確認出来た良い会議だったと思う。

午後から不動産の仕事を事務所でこなし、2時頃から効率よく支持者の挨拶回りをしようと思って外出、結果的に2件。29日まであと50件は回ろうと思っている、”んっ・・・”。

でも、二人相対でじっくり話すとプライバシーに関わる内容まで話題が及んだりする。以前より心理的距離感が狭まるのは有難い、”急がば回れ”とはよく言ったものだ。

4年に一度(選挙前)の聖夜はこんな感じで迎える事となった。

メリークリスマス!

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2006年12月17日 (日)

選挙日程が本決まり

来年の統一地方選挙の日程が正式に決まりました。県議選挙は、3月30日が告示で4月8日が投票。市議選挙は、4月15日が告示で22日が投票となりまた。

年が明ければ、我々も本格的選挙モードに突入します。まず、県議選挙に関しては定数6(川口)に対し現在立候補予定が、自民2、公明2、共産1、民主1と定数どうりで選挙が無くなる可能性があります。

これを市民がどうとらえるか?筋論から言えば選挙をして選ばれし者に県政運営を委ねるべきとの意見もあり、今後の立候補者の出現に注目が集まるでしょう。

また、市議選挙についてご存知のとおり定数が44から40と4議席が減らされました。現在の議員全員(引退組みは後継者)がほぼ立候補予定で、更に民主党から5~6人の候補者を出すとの事。側聞すると、最終的に50名を超える立候補者がでるのは間違いなさそうです。

正に激戦です。前回上位当選者も、うかうか出来ない何が起こるか解らないのが選挙の恐いところです。私はもちろん新郷地区に重点を置いてこれから4年弱議員としてやってきた全てを出し切ってこれに挑んで行かなければならないと覚悟を決めています。

昨日の忘年会で、ある支援者から「来年の選挙?やるに決まってんだろう!」力強いお言葉、有難く心に沁みます。さぁ今夜は徹夜で選挙資料の作成です。

2006年12月16日 (土)

圧巻”中山大蔵先生

今日、午前10時から、山﨑幸一先生の告別式が行なわれました。ここ数日の寒さからは打って変わって日差しも覗かせる12月にしてはしのぎやすい気候の中で、私は生まれて初めてしかも市長の次に弔辞を読まさせて頂きました。

山﨑先生の長きに渡るご功績の賜物であるかのように昨日に引き続き今日も多数の方々のご会葬を頂き嬉しいかぎりです。

式の最後に中山大蔵葬儀委員長からご挨拶がございました。失礼ながら御歳89才。周囲の心配を物ともせず威風堂々、人の心に響く素晴らしい内容のお話でした。

一方で、高齢であるがゆえいろいろな行儀の役職をお願いするのは如何なものかと疑問を投げかける声もあります、しかし、ここぞと言う時で中山先生に意欲がある限り、これからもお出まし頂きたいと私は思っています。

2006年12月13日 (水)

志を貫く時!

今日、一般質問4日目が終了しました。詳しくは述べませんが、某議員の発言内容が問題になり、結果的に本議会が1時間伸びました。

議員自らの信念を貫く時は、政治生命を掛けて発言する勇気が必要な事を私は学びました。

某議員に敬意を評させて頂きます。

2006年12月 6日 (水)

忘年会シーズン真盛り!

このところ夜の宴席が続いています。今日は2つで今週は毎日予定が入っています。

私にとって、また議員にとっては、地域のいろんな方々と触れ合う絶好の機会なので、出来る限り全ての会に出席しようと体調も考えずがんばり過ぎるのがこの時期です。

さらに、不動産の仕事も今年一年の中で今が一番忙しいと思うくらいさまざまな事をこなしています。

これらの為か直りかけた風邪が身体の中で停滞前線のように残っていて困ったものです。

8日からは、議会で一般質問も始まりますし体調管理をしっかりせねばと自分を言い聞かせています。

今夜は、ホットミルクをすすり、全米で900万部を突破した大ベストセラー本「病気にならない人は知っている」を斜め読みしながら安眠したいと思います。

2006年12月 2日 (土)

新郷東部公園の現在

天気も良く、上から撮影したくなったので、メゾン新郷の上層階から撮ってみました。手前がC池、右上がB池です。

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2006年12月 1日 (金)

新年号の原稿依頼

本蓮町会の常任相談役として新年号の広報誌(七つの輪)への依頼原稿を今、書き終えました。

書き終えたと言っても、原稿用紙1枚とちょっとの分量です。しかし、文才の無い私にとってはこの微妙な分量で納める事が結構大変なんです。

常任相談役であり、市議会議員でもある私が町会内の皆様に対して、新年の挨拶に何の話題を取り上げるか、何が相応しいか短い時間ですが毎回苦悩しています。

最終的に、教育の話題を中心とし、自治体と町会の関係について書き上げました。

誤解のない為に言っておきますが、何の原稿依頼でも一般的に私にとっては有難い事なので遠慮なさらず、よろしくお願いします。お待ちしています。

2006年11月24日 (金)

我が身を律する時

議員は公人です。どんな時にでも、その発言や行動は周りから見られています。日々よく考えて生活を送らなければなりません。

先程、目黒区の公明党議員が政務調査費の使用法をめぐっての問題で6人全てが総辞職したニュースが流れていました。(潔いかどうかは、世論にまかせたいと思います)

何事についてもそうですが、以前からの慣習で疑いもなく行なってきた事が、実は一般社会人(納税者)から見たら寛容に思えない事って沢山あるんだろうと思います。

議員は常に襟を正し、我が身を律する事がとても大事なんだと一連の報道を見てつくずく感じました。

でも、いつもピリピリしていると、身が持ちません。そんな時は息抜きも大事です。

2006年11月18日 (土)

議員の懇談会

昨夜、議会でいつも顔を合わせている一期生議員を中心とした懇談会が開かれました。

議員達が集まって酒を酌み交わせば、話の内容は来年の選挙の話題がほとんどに決まっています。しかも、同期同士なので遠慮なき討論?闘論?。

誰がどうの、今度の新人候補がどうの、誰が何票取るかなど自信と不安が交差する中、同じ選挙と言う”洗礼”を受けた者しか解りえない話に尽きる事がありません。

議員は当選しなければただの人。見方によっては、落選した人は、ただの人よりも始末が悪いと言われています。

当選すれば、後援者(支持者)の力と本人のこれまでの政治活動が評価された証。落選すれば、本人の得の無さと、日頃の政治活動が認められなかった事になります。

情報化の現代、有権者が与党である地方議員に求める事は一体何なのか、これを肌身でどれだけ感じる取る事が出来るかどいうかが、当落の分かれ目だと私は思っています。

2006年11月 9日 (木)

風邪には要注意

4~5日前から喉が痛く、ここ2~3日咳が出始めました。明日は大事な会で30分くらい新郷市政について語らなければならずとうとう今日は決心して病院に行きました。

地元某クリニックに行ったところ、何時もながら、たまたま病院に来た知り合いの人や事務職員の同級生から声をかけられます。談笑していると、お陰様で待ち時間では雑誌も読む暇なく診察順番になり有難い限りです。

診察直前に看護士さんから体温計を渡されたので測ったら37度を超えていて一気に風邪ひき病人である事を確信。また、診察が終わってホールに出たら目の前に実の祖母がニコニコしながら座っていて(定期健診らしい)やはり病人と言ってもまあまあ元気な高齢者にとって、ある意味ここは、交流の場になっているんだなぁと再認識させれられました。

今日は一日仕事もしましたが、明日に備えしっかり夕食を食べて薬を飲んで早く寝たいと思います。

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2006年11月 8日 (水)

政党政治の厳しさ

昨今、郵政民営化に反対した議員達(造反組)の復党問題がクローズアップされています。来年の参議院選挙をにらんで、さまざまな思惑が絡んでいそうです。

この造反組に対して対立候補となって当選して来た一年生議員には、この件は、心中穏かではないのは当然の事です。小泉前総理が会合で、「使い捨てがいやなら、国会議員にはならない方がよい」と言ったらしいですが、国会議員なら自分自身で議席を勝ち取るしかない!とでも言いたいのでしょうか。

一方、我々地方議員も来年4月に4年に一度の選挙と言う洗礼を受けるわけで、この頃になると新人候補者が決まり始めますし、地域の人口に対して、候補者が多いとか少ないとか(議員密度の話)、だれそれは余裕だ、だれそれはやばい、等など。番度に情勢はめまぐるしい変化を見せます。

一度議員となったからには、自分の道は自分自身で切り開いていかなければなりません。国会も市議会も選挙に勝って多数派を形成し責任政党として国民、市民の負託に応えること、これが与党議員の最大の任務だと思っています。

2006年11月 4日 (土)

お陰様で45歳

11月4日は私の誕生日です。お陰様で今年で45歳になりました。今年になって歳の話しになると何時も申し上げるのですが、やっと中山大蔵先生(90歳)の半分の歳になりました。(笑)

誕生日を迎えたからと言って特別な思いはありませんが、改めて申し上げるとすれば、日々、私を支えてくれている妻と母また、会社スタッフや後援者の皆さんに感謝をさせていただく事であります。

2006年10月 4日 (水)

あいまい戦術

安倍総理の国会答弁が「あいまい戦術」とか「壊れたテープレコーダー」などと野党から論じられている事について皆様はどうお考えになるでしょうか?

私は、一国の総理として、国の行く末について責任のある身として、新内閣がスタートしたばかりの一定の期間は、ある程度の戦略的あいまいさはあって当然と思っています。

重要な政策について、行き着くゴールは明確にすべきですが、そこまでの過程における戦術はその時々で違ってきます。現段階で手のうちを明かすのは、逆に揚げ足を取られる事にもなろうし、手段を狭めてしまう事は明白です。

地方自治についても同じで、与党であるからこそ大胆な改革策には幅をもたせ、多数の賛成を得る事でやっと前へ進みます。

ますは、安倍総理の「美しい国」を目指す為の手腕に期待しましょう。

2006年10月 1日 (日)

10月(神無月)雨模様。

今日から、10月(神無月)です。9月に入って日曜日はいつも、晴天で学校や町会等の運動会が延期にならず助かっていました。今日は、お昼までは良かったのですが、とうとう午後から雨模様です。(新郷小学校はちょっと残念)

どうやら月間天気予報でも、関東地方の10月は雨が多い様で、私も少し憂鬱な気分です。

Photo_117 一方、私のご当地本蓮では、10月7日、8日と第10回本蓮祭りが行われます。今年は本祭りであり10回目の記念なので、例年にも増して盛大になりそうです。よって、一週間前からこの様に提灯を各家庭の軒先にぶら下げて雰囲気を盛り上げています。

ところで、10月は、神無月(かんなずき)と言いますが、一説では、神様が出雲に旅をされていて神様が居ない事からこの名が付いたそうです。神様が居ないのに、氷川神社でお祭り前にご祈祷して頂くのも何か変な感じですが・・・?深く考えないようにします。

2006年8月31日 (木)

”川口震度3”

けっこう揺れましたね。今日は、忙しかったので、一瞬、目まいかと思いました。

こんな時、自分が一人でいるのか、また、何処にいるのかで、その恐怖心が随分ちがってきます。

ちなみに、皆さんは地元の緊急避難場所をしっかり把握していますか?

幸い私は、会社の中でしかも、社員と一緒だったので意外と冷静でいられました。

高層マンションとか、エレベーター内だったらと思うと少しぞっとします。

最近、日本人も危機管理の意識が高まってきたと感じているのは、私だけではないはずです。

近隣諸国との不安定な関係や大規模停電、エレベーター事故などがニュースで報じられると、やっぱり心配になりますよね。

それぞれ、皆さんが自分個人の非常時対策を事前に作っておく事が必要だと思います。

2006年8月15日 (火)

小泉総理の靖国参拝について

2006081500000017maippolview000 今日8月15日、小泉総理の靖国参拝について、私は、公約を遂行出来た事について”お疲れ様でした総理”と申し上げたいと思います。

一部の隣国が予想どうりの批判声明を出しているようですが、これはまったくの内政干渉であり、この事によって日本は、アジア諸国のリーダーになれないとか、国連の常任理事国は遠のいたなどと今後の外交に大きな負の遺産を残したと言ったようなコメントは気にする必要はありません。

この問題を外交カードとされない日が来るまで、次期総理予定者にも靖国参拝について”する”、”しない”どちらにしても周りの意見に振り回されず自分の意思で行動して頂きたいと心から願うものであります。

私は、不戦の誓いと恒久平和を祈る事はもちろん、東京裁判におけるパール判事のいわゆるA級戦犯に対する全員無罪の判定を厳粛に重く受け止める一人として、また、戦争責任を自ら負う事を全うした英霊に心から敬意を評しながら、実の叔父が沖縄戦線で戦死した遺族の端くれとして靖国へ参拝します。

2006年7月 4日 (火)

引退する時

サッカーの中田選手が引退を表明したのはちょっと驚きです。なぜちょっとかと言うと、彼の今までの言動を見ると何となく予感的なものが私にはあったからです。 

それにしても、29歳にしてはかっこ良過ぎると思いませんか?ブラジル戦で負けた後のあの姿は、引退発表の映像造りまで意識したのかなぁと勘ぐってしまう私は意地悪でしょうか。

いずれにせよ、まわりから認められるぐらいの人が引退を自ら決める時は、それを始めた頃からは、想像もつかないほど、いろんな思いが込み上げてくる事は間違いなさそうです。

人生を賭けていたものから引退する時、自分だったら、いったい何を思い、感じるのでしょうか。想像すると不思議な気持ちになります。

2006年6月24日 (土)

日本代表、新たな4年間

Photo_86 決勝トーナメントが期待されていたワールドカップ日本代表。残念な結果でありました。

非国民と言われない為にも、私は日本の試合は全てリアルタイムでテレビ観戦をしました。

見ていて感じた事ですが、ブラジルは元より、はっきり言って対戦相手はどこも強かったです。そう簡単には点が入る感じはしませんでしたね。

執念と体力(フィジカル的ってやつ)が他国の方が勝っていたと思います。

さっき、テレビニュースで選手が帰国している姿が写っていましたが、新たな4年間に向けて険しいスタートです。

地方議員の任期も4年間です。4年間って微妙な長さだと思いませんか?

2006年6月22日 (木)

靖国問題について

総裁選に向けた動きが本格化する中で、この靖国問題を争点にする事自体私は反対であります。しかし、これに触れざるおえないのかどうか麻生外相が靖国の非法人化を示唆する発言がニュースで流れました。

国として宗教法人にいわゆるA級戦犯を分祀しろと言う事は政教分離に違反する、戦争遺族が減っていく中で国として、非法人化してからこの問題を解決し、維持管理をするべきとの意見には、多少無理(小泉総理の参拝は違反?)がありますがなんとなく理解は出来ます。

そもそも、いわゆるA級戦犯が本当の意味で戦争責任があったのかどうか?B級、C級戦犯はどうなるのか?戦争責任を限定する事が出来るものであろうか?東京裁判が間違ったものであった事は当時の裁判官自身が認めている事であり、戦後60年が過ぎた今、近隣諸国から自国の英霊に自らの意思で参拝する事を問題視される必要はないと考える一人であります。

小泉総理も最後の今年8月15日に是非、靖国へ参拝する事で、頭のもやもやを晴らしてほしいと思います。

そして、最終的に天皇陛下が参拝する事でこの問題に決着をつける日がそう遠くない事を願いたいものです。

2006年6月11日 (日)

総合型地域スポーツクラブ

昨日、新郷連合歓送迎会が新郷公民館で開かれました。これは、町会長、民生委員、体育指導員、更にスポーツセンターや公民館職員の移動があった方を対象に毎年行なわれています。

私は、特に勇退される方の謝辞など、永年関わってきた思いや、今後への提言など説得力あるお話が聞けるので楽しみにしている会の一つであります。

その中で町会における対抗のスポーツ競技についての話しがありました。要約すると、町会内の親睦とは言え、これにかかる費用はけして安くない、これに関係のない人達が大多数であるのでそれをしっかり認識しなければならない。と言う事でした。

今、国では、自治体に対して総合型地域スポーツクラブを推し進める動きがあります。

総合型地域スポーツクラブ

これは、まさにスポーツを町会から切り離した中で自主運営をしていくシステムです。今後は、この形が主流となる可能性が高いと感じています。

スポーツにせよ町会にせよ本質的な部分から議論をして改めるべきは変えていく、国と一緒で町会も改革の時を向かえているのが現状であると私は思っています。

2006年5月28日 (日)

学校やPTAの情報伝達について

数日前、小2年の女子が逃げる犯人の姿を携帯で撮影して逮捕に至った事がテレビで報道されていました。

非常事態に陥った時、携帯はその命綱になる事も有り得るので一概には否定できませんが、今や小2の子供にも、携帯を持たせる保護者がいると思うと何とも複雑な思いがします。

また、情報化社会の波はその速さを増してくる一方で、学校からPTAへの情報伝達は今だに、紙ベースや有線電話に頼っている事が不思議です。

先進的な私立の学校では、必要な事項をメールで保護者の携帯へ一斉配信しています。また、子供達にはGPSを持たせ、登下校時の居場所がリアルタイムで把握できるシステムを取り入れております。このような取り組みは非常時には確実に役立つ事は言うまでもありません。

公立学校では無理などと思っている暇はありません。出来うる限りの改善を関係部局へ働きかけたいと考えております。

2006年5月20日 (土)

摩天楼

Photo_71_1 年に何度か某夫婦と4人で食事会をしています。夫同士は、小学生で出会い、中学生以来の親友です。妻同士も、たまたま同じ年です。これ以外にも共通点が幾つか・・・。(左隅は自称:ちょい悪オヤジ)

たまには、都心でと言う事でこんな処へ初めて行きました。

エルザタワーではありません。

2006年5月18日 (木)

偶然の出来事

今週の月曜日、朝、バス停(江戸袋)でチラシを持ちながらご挨拶をしていたら、信号待ちの自動車から私に声を掛ける人がいました。1年以上会っていなかった地元で会社を経営する社長さんでした。 運転中であったので、数秒間の挨拶でその場を別れました。

同じ日、お昼を過ぎたころ、不動産の仕事で今度は朝日町付近を歩いていると、先程会ったこの社長さんがまた自動車で、私の前を徐行(狭い道)で通り過ぎようとするではありませんか、あっ、瞬間、目と目が合いました。

社長さんは、車を止め私の処へ来るなり、「今日は偶然が2回続いたねぇ!何か縁があるのかなぁ?実はさぁ~、不動産の事で考えている事があるんだよね」

私は空かさず、はい!私に出来る事でしたら何なりと相談して下さい!その場で翌日に打ち合わせをする約束を取り付けました。(現在相談継続中)

相談内容はともかく、改めて人の縁を強く感じた出来事でありました。

世の中は偶然はなく、全て必然と言う考えは私は好きです。

2006年5月14日 (日)

市民の提言座談会

今日は”市民の提言座談会”と言う会合に出席してきました。これは、自民党が発行している新聞に掲載をするべく企画された会合です。

後援者を中心に一般市民からお声がけをしてご出席頂いた皆様から、今の川口市、鳩ヶ谷市についていろいろ語って頂きました。

私は、書記と言う立場で皆様からのご提言を聞いていました。その中で、町会加入の減少が問題であるとの話題から、次のような話しがありました。

「お祭りなどの親睦事業だけではなく、万が一の災害時に備え防災訓練事業や非常時の行政側との連携に関する事など、町会に加入しておけば助け合いの精神から様々なサポートを受けられるシステムを構築して、未加入者に広報するのはどうでしょうか?」

以前、防災マップと言う本がベストセラーになったようですが、隣近所と接点の少ない住民の不安は、非常時に自分達はどうすればいいのかと言う点であります。町会加入の増強をする効果的方法のヒントがこの意見に沢山含まれていると感じました。

2006年5月13日 (土)

コンビニ開店(新堀)

我社の斜め向い側にコンビニが5月末開店するそうです。歩いて数十秒の所にコンビニが出来る事は、今後、わざわざ多めに飲み物等を買う事もなく、必要な分だけ新鮮な品を都合のいい時間に買えるのでとても嬉しいです。

新郷スポーツセンター通りは、ご存知のとおり、地域人口の割りにはバスの本数も少なく、商店もまばらです。

新しいお店が出店すると近隣の競合他店等からは、無論脅威となります、しかし、川口そごうがキャスティーオープン後、売り上げが上がった経緯もあります。企業努力さえあれば相乗効果も望める事を忘れてはなりません。

地域の活性化はこうした先手を打つような民間の出店こそが起爆剤に成りえるのではなでいしょうか。

私はこのコンビニのお得意様になります。

2006年5月 7日 (日)

GWに見る格差

Photo_66 今回のGWで、海外に56万人が出かけたそうで、過去最高の人数だとニュースで報じていました。

一方、国際的な原油高のあおりを受けガソリンの価格がここ数日でレギュラーが130円を超え消費者の反感をかっています。

Photo_67 心配なのは、スタンドと違って原油関連が原材料の中小製造業者はコスト高を価格に反映できない為に厳しい状況に追いやられてしまう事です。

一概に海外に行く人達が余裕があるとは思えませんが、ニュースを見ていると対照的に感じてしまいます。また、二極化や格差社会と言う言葉がよく使われますが、言葉では片づけられない切実さを感じずにはいられません。

ただ言える事は、どうにもならない処に手を差し伸べるのが政治だと言うです。

2006年4月24日 (月)

支援者からの声

ここ連日、ある理由から毎日3~4件の後援会幹部宅へ訪問をしています。それぞれのお宅で暖かく迎えて頂き有難いなぁと感じると同時に、皆さんの地方自治、政治、選挙に対する見方、感じ方が予想以上に違う事に驚かせられます。

既にご存知と思われる事を知らなかったり、そのまた逆があったり、皆さんそれぞれの見識の中で状況判断をしてらっしゃる結果だろうと推察しております。

多分、だからこそ、そこに新しい発見と気づきが得られるのではないでしょうか。

私の感じ方と正反対の考えもしっかり耳を傾けそれらも踏まえて自分の進むべき方向を見定めていきたいと考えております。

2006年4月16日 (日)

総会について

4月から5月中旬にかけては総会がとても多い時期です。私も町会・学校・官民を問わず諸団体も含めいくつもの総会に出席をさせて頂いております。

今日も二つの総会に出席をしてきました。それぞれ、団体としての特性にあった運営をされておりました。また、運営側からするとスムーズな進行をしたと考えるのが常であります。

総会屋対策ではありませんが、一般的に、反対意見を出しそうな人物に事前に説明やお願いをしておくなど、短時間の平和的な総会を望みます。また一方で、出たとこ勝負のギャンブル総会を好む人もいらっしゃったりします。

いずれにしても、総会は最高決定機関であるので、その会員であれば発言を妨げる事は誰にも出来ません。発言は自由です。ただ、反対意見を述べる場合は相手方に配慮した言葉を優しく選びながら発言する事が大切ですし、結果的にその意見を取り上げてもらう事に繋がると私は思っています。

総会を未来の為に!実り多きものとする為に!

2006年4月 7日 (金)

正直さ

今、夜12時40分。あるブログを読んでいたら、急に思いつきました。人って都合の悪い時、思わず嘘をつく事がありますよね。

言ったのちに方便と思えるくらいならいいのですが大事な時に反射神経的に自分を何か隠したいが為に嘘をつく事ってありませんか? 

正直私はあります。後になって妙に自己嫌悪に陥ったりします。ある先輩議員が言っておられました。”俺は自分に嘘をつく事が一番恐い”すごく共感します。

ご先祖に手を合わせる時、正直にならざるおえません。故に、静寂である種の安堵感に包まれた気分になるのかもしれません。

追記:お忙しい中、お越し頂いた皆様、ご会葬頂き誠にありがとうございました。

2006年4月 6日 (木)

久しぶりの親戚

身内の葬儀が行われると必ずある事ですが、顔は解かるけど名前が出てこない。また、こっちが、解からずとも相手先が親を顔を思い浮かべて”あ~、~さんの息子さんね”。更に、最悪なのは、両方解からない。誰かがそれを察知して”いゃだ~さんでしょ!解かんないの?軽い会話で仲介してもらえると助かったりします。

冠婚葬祭がある時にしか会わない親戚が多いのも、核家族時代が悪い意味で影響している一つであります。

逆に言えば、葬儀で亡くなった人が引き合わせてくれると考えれば、有難いものだなぁと感じたりもします。

今回、祖母の葬儀の場合、80歳を過ぎた息子から、6歳の玄孫(やしゃご)までが葬儀に参列します。私自身、お恥ずかしい事ですが30年以上会った記憶のない従兄弟何人かは、名前と顔が一致しません。

このような、体験をさせてもらえるもの、102歳おばあちゃんのお陰です。(今夜が通夜です。)

2006年4月 4日 (火)

102歳3ケ月20日間の人生

昨夜、私の祖母が亡くなりました。102歳3ヶ月20日間の人生に幕を閉じました。身内ですが、正にあっぱれと言うしかありません。大往生です。

102歳と言うと明治36年生まれとなり、日露戦争が明治37年に始まりましたので、その前の年に生を受けた事になります。

昨年秋頃までは、普通に生活をしていたので、入院をするなど本当の意味で家族の手を煩わせたのは、ほんの数ヶ月であります。

12 写真は、100歳の時に市長から直接の訪問を頂き、表彰を受けた時のものです。この頃は全然普通で絶好調でした。

身内の死に接っすると、普段とは違う事を経験し、実感する事が多々あります。今回は、同居の親族ではありませんし比較的冷静に葬儀の進行に関われるのでいつもとは違った意味で勉強になります。

2006年3月25日 (土)

お休みします。

明日より一週間、旅行や視察が連続してあるので落ちついてPCに向かう事ができるかどうか解かりません。

したがって、ブログの更新をだぶん一週間くらい休むと思いますのでお知らせします。

4月2日から、またガンガン書いていきますのでよろしくお願いします。ちょうどその頃は、桜が満開かもしれませんね。

2006年3月22日 (水)

お彼岸

昨日、妻、母親と共に墓参りに行きました。父の眠る墓、本家の墓、親戚の墓、考えて見ると特別の事情がない限りは、正月、お盆、春秋のお彼岸と年4回お墓参りに行く私であります。

ところが先日、私と同い年のかつて昭和天皇も工場視察に訪れた、川口市内の優良企業役員の彼は、月に一度くらいは、お墓に行くと言っておりました。永きに渡る事業発展は、一族の創業時前からの先祖に対する敬いの心がその一端を担っているのだろうと感じてなりませんでした。

個人差はあれど年齢を重ねると、神仏に対する意識が自然と深まってくるのは普通の事なんでしょうね。

また、どうでもいい事ですが、昨日、榛松のお寺で100円で線香を買ったら、若い住職(寺関係者)の方が火を点けてくれました。線香の束って、特に風の強い日は火を点けるのが難しいんですが、とても器用に点けていました。

残念ながら文章では、上手く表現できません。聞きたい方は私にお問い合わせ下さい。

2006年3月21日 (火)

イチロー選手

Photo_49 このところ、WBCがマスコミをいい意味で騒がせています。特にイチローの活躍やコメントの活字が躍っています。

やっぱり、イチローは凄いな!たぐい稀なイチローはもとから天才として生まれてきたような錯覚があるように思われてもしかたないぐらい、カッコいいです。

また、更にカッコいい記事をさっき見つけました。

2004年イチローが大リーグで257の年間安打記録を抜いた時の試合後のインタビューでこう答えています。

「いま、小さなことを多く重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道なんだなというふうに感じています」

※日頃の選挙運動と同じ!

また、ある方は、「井の中の蛙、大海を知らず」これは良く知られている諺です。一方で「井の中の蛙、天の高さを知る」とも言うそうです。

その道を極めるとは、永く地道な精進が必要である事はまちがいありません。

次なる決戦に向けて闘志を燃やしつつ・・・。

2006年3月13日 (月)

宴席での秘技

私の前任者である山崎先生から以前に、和室の時は正座か、膝をついて飲み物を注ぐので、大きい宴席だど、数多く注ぐ機会があるので、膝が擦りむけてしまう事があるんだよ。と伺った事があります。

この話を受けて、私はズボンの下に解からないように両膝にサポーターを付けてある宴席に臨みました。

宴席後、それでも擦りむけていました。サポーターをもし、していなかったらと考えると・・・。

経験者の話はやはりよく聞くものですね。

2006年3月10日 (金)

ホリエモンと文集

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最近、小学生の作文で将来ホリエモンのようになりたいと言う趣旨を書く子供達が結構いたようであります。その後の一連のライブドア事件で、作文の文集をわざわざ作り直しているケースが多いと言う話を田中県議が先日されておりました。

思わず、失笑してしまいました。3月は我社も決算月ですが粉飾したい理由がどこにも見つかりませんし、粉飾できる材料も当然見あたりません。

幸せな事です。

2006年3月 5日 (日)

花粉症?

明日は啓蟄。春なのに寒い日が多いと感じながらも、少しずつ季節は移り変り、どうも、今年の花粉症が早くも私に季節同様巡ってきた様子です。

巡ってきた様子とかっこよく言えるのは、まだ、症状が軽いと思えるからであって、鼻風邪でなく本当に今の頃で花粉だったとしたら早すぎる?ひょっとすると、相当今年は悩まされる破目になってしまうかもと少々臆病な私であります。

話は変わりますが、昨日、新郷スポーツセンターで青少年育成研修会が開かれ、川口市の元教育長であった栗原さんが講演されておりました。

話の中で、新郷の花いっぱいの会についてのエピソードを語られ新郷を褒めてぐださいました。

スギ花粉を追いやるくらいの春の花で今年も新郷が満開になってくれると私の花粉症も少しは和らいでくれると勝手にイメージしております。

2006年2月24日 (金)

町会人事

この春は町会人事の時期であります。新郷地区内の町会でも役員の改選がそれぞれで行なわれているようです。永きに渡り町会に貢献された役員が勇退され、新しい役員にその役を託すには、しっかりとした引継ぎが必要です。

今までの流れや慣例など、踏襲すべきと思う内容を伝えたり、重要なポイントに関して事前に助言しておく事、”さじ加減”や”ニュアンス”も伝えておくととても役立ちますよね。また、その人(前任者)が町会への取組む姿勢を支えていた精神的支柱(根っこ)を感じ取る事が出来ると自分に置き換えた場合の参考になります。

理論や理屈じゃない世界です。

今ベストセラーになっている「国家の品格」と言う本を読みました。その中で”「論理」だけでは世界が破滅する”最も重要な事は論理で説明する事ができないと言う一節がありました。

数学のように論理だけで構築されているような分野でも、正しいか正しくないかを論理的に判定出来ない命題が存在する「不完全性定理」と言うものがあるそうです。

人間にとって論理で説明出来ない重要な事は山ほどあると言う考え方は私にとってとても共感出来る事でありました。

地域社会を良くしたい、安心、安全の街づくりに貢献したい思いはみんな一緒です。誰もが役員を出来る訳ではありません、何方かにご推挙された時が天命と思い一歩勇気を出して踏み出し町会の役を受けましょう!

2006年2月17日 (金)

皇太子殿下が川口へ

2月14日、皇太子殿下が川口へ来られました。目的は、国の指定史跡になっている見沼通船掘の視察です。

http://www.saitama-np.co.jp/news02/15/01x.htm 

↑は埼玉新聞の記事です。

これから、メキシコで行われる行事に出席するにあたり、パナマ運河に関係して取材をしたいとの理由からだそうです。

見沼通船掘は聞くところによると、3箇所の関を人力で調節しながら、船を流して物資を運んだ日本最古の方式だそうで、パナマ運河もこの手法で造られているらし大変に貴重な史跡であるとの事。

実際の視察はさいたま市で行われたようですが、その帰り際に、川口によって昼食(市長同席で東内野の某店)をされる事になり、事前に知らされた事であったにしても、関係部局や警察はだいぶ神経を使ったようであります。

あくまでも非公式な事なので、我々も沈黙して事が無事に終了することだけを願っておりました。

関係者の皆様(市長を含む)お疲れ様でした。

2006年2月15日 (水)

信賞必罰(しんしょうひつばつ)

最近マスコミでこの言葉をよく聞きます。功績があれば必ず賞を与えて、罪があれば必ず罰せられる事と言う意味だそうです。

ライブドアや耐震偽装問題など、法律の隙間を縫う手法や分からなければそれでいいと言うような者達が時代の長者となり、まじめにコツコツやっている人が報われない社会はどこかおかしい!とテレビではもっともらしく訴えています。ある意味、氷山の一角?次々と起こる嫌な事件。

そう言えば、トリノオリンピックの開会式でロゲ会長やロッカ選手が二人共、ドーピングの無い大会にと言っていたのが印象的で開会式で訴えるほど、実態は悪いのかなぁと思っていました。

案の定、既に開会式前にブラジル選手が陽性反応が出て国に帰ったニュースが明るみになりましたよね。本番後にまたこんなニュースがなければいいんですが。

いずれにしても、明るみに出ない世の中の不条理を発見した時は、妥協せずに立ち向かっていく姿勢を皆で持ちましょう。

2006年2月 8日 (水)

英姿颯爽(えいしさっそう)

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私が常日頃お世話になっていて、とても親しくさせて頂いている先輩が、今年4月より川口商工会議所青年部(川口YEG)の会長に就任する事になりました。

その新年度事業計画における基本テーマが「英姿颯爽」(えいしさっそう)?んっ?これは、”勇ましく立派な姿で、見る人にさわやかな印象を与える様”と言う意味だそうです。

また、今年創立20周年でもある為に周年行事を抱えるとても大事な年度を受け持つ事になり。不肖私も監事として微力ながら役員として協力させていただく予定になっております。(予定と言うのは、まだ総会決議されていない為)

先輩によれば、YEGは、町おこしを目的とした青年団体であり、町の商工業発展の牽引役として英姿颯爽とした態度で経済活動に邁進し、町を元気にする使命がある。会員間のネットワークの構築によりビジネス交流の輪を広げて行く事が重要とおっしゃっておられます。

私は、このような異業種交流団体に身を置く事はとても大切だと考えています。サラリーマン生活を体験するのと、しないとの差が大きいように、事業規模の大小はありますが、それぞれ一国一城の主でありながら、その付き合いの範囲は以外と限られています。しかも、基本的には利害が関係しない大人の人間関係は町会、PTAなど以外と少ないと私は思っています。

そうした中で同世代の地域の人間関係を広めながら同一目的に向かって活動する事は、会社にだけ身を置いていては、経験出来ない沢山の事があるだけでなく、人間的に数多く成長する機会が得られる絶好の場所だと私は思っています。

私がこうして、会社を経営しながら議員をやる事になったそのきっかけや価値観には、29歳からRC(ロータリー)、34歳からJC(青年会議所)、そして現在は農業青年会議所やYEG在籍とそれぞれの目的に違いはあれど、多くの人との出会いと、そこからしか得られる事の出来ない沢山の感銘、共感、反省が大きく影響しているのは間違いありません。

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