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くすの木

  • くすの木
    私が幼少の頃、自宅近く(母方実家)にあるこの”くすの木”の下でよく遊んだものです。初めて自転車に乗れた時もこの”くすの木”の下でした。無邪気だった自分を思い出しながらこのブログを綴っています。

-占い-

市民(あなた)への約束


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2007年8月 8日 (水)

政治に翻弄(ほんろう)される

参議選の公営掲示板がまだ所々に設置してあると思いきや、明日9日が埼玉県知事選の告示日であり、その為の掲示板である事に気ずいている人が何割いるであろうか?(埼玉県は選挙疲れだ)

4年前、自民党の独立候補が敗れて今の上田知事が誕生した訳だが、今回、自民県連では、上田氏を”支持”と言う事になった。(微妙なスタンスだ)

まさに「昨日の敵は今日の友」事後の県政運営の為には、結果は残さなければならない、しかし、我々(市議)の支持者に理解と協力を求める事は決して簡単な事ではない。

今の参議選大敗に伴う国政運営もそうだが、政治には翻弄(ほんろう)が付物なのだろうか?

政治と言う得体の知れない大きなうねりに時には翻弄されながらも進んでいくしかない不条理を感じずにはいられない。

2007年8月 6日 (月)

原爆の日

今年も、広島で原爆慰霊祭が行われた。9日には長崎でも行われる。

原爆投下の日から62年。参議選前、お辞めになった某閣僚の”原爆はしょうがなかった発言”は記憶の新しいところだ。(この頃から今回の選挙結果を招く暗雲が立ち込め始めた)

戦争終結のシナリオの中では、沖縄に加えての地上戦が原爆後に計画されていた事など戦勝国の当時の機密情報が少しつづ公開されてきた今、改めて考察すれば、あそこで降伏しなければ更に多くの甚大な被害を被る結果が想定される事も事実。

しかし、現役閣僚がする発言としては、配慮に欠落しており失言としか言いようがないと私も思った。

私も議員の端くれとして、自分の発言には気を付けると共に責任を持たなければならいと思っている。

いずれにしても、原爆での犠牲者に哀悼の意を評すると共に不戦の誓いする。

2007年8月 3日 (金)

もろもろ・・・

昨日、宇田川議員からTELをもらった。”明日3日、午前9時頃にオートレース会場(たたら祭り会場)の農業青年会議所のブースに顔出しに行こう”と言う誘いだった。

予定どうり9時に現場到着。これからブース設営をするそのスタートに二人して立ち会えた。(有難かった)

午前9時45分頃、登庁。昼食をはさみ午後2時頃まで会議。

その後、会社(不動産)に出社。スタッフとの打ち合わせ等、仕事をする。

夜は、前野宿町会と峯町会の納涼大会に出席。どちらも沢山の人出で賑わっていた。(風があってしのぎ易かった)

これで9箇所の納涼大会に出席した事になる。明日、たたら祭りで流し踊りに参加した後、東本郷台町会の納涼大会に出席する事で今年の納涼大会も終了だ。

そしてたたら祭りが終わるとお盆。やっと一時の休息に入ると思いきや知事選挙に突入する。

お盆真っ盛りの選挙戦一体どうなるんだろう?

2007年7月30日 (月)

逆境の中でも勝利する

参議院選挙は与党(この言葉は好きじゃない)の歴史的大敗であった。

何故?その分析については、政治評論家と言われる有言不実行者(第三者だから見える事がある)に任せるとして、全国津々浦々選挙戦があった中でメガトン級の逆境の中で2番手候補にダブルスコアー以上で勝利した群馬県の山本一太議員(自民)は凄いと思った。

どんなマイナス外的要素があろうとも、それらを跳ね除け結果として磐石と言える勝ち方をするのが本物の議員であるとすれば、同議員は今回の選挙でこれを証明した事になる。(大したものである)

埼玉選挙区では、とにかく我党が1議席を守った。素直に良かったと思う反面、民主党に2議席をもっていかれた事がとても残念でならない。

逆境の中でもしっかりと勝てる議員となる為に日々の精進はもちろん時代を読む事、人の心を掴む事がとても大事でありそうする事で外的要素を退ける事が出来るんだと思う。

2007年7月27日 (金)

今年最高の暑さ?

午前9時06分このブログを書いている。

さっき、車のラジオで”今日は今年最高の暑さになる”と報じてた。これで梅雨明けとなるんだろうか?

今日は、地元3町会で納涼大会が開催される。もちろん全てに足を運ぶ予定だが夜も暑いだろうと思うと、ちょっと辛い。

あっ、もう時間がない。打ち合わせに向かう。

2007年7月16日 (月)

ターゲットバードゴルフ大会

今朝は、台風が去った後のお決まりの晴天だ。昨日から延期されていた、川口新郷TBG(ターゲットバードゴルフ)連合会主催の大会に出席した。

P7160008_2 この大会は、新郷多目的遊水地に新コースが完成した記念オープン大会との事で地域の多くの愛好者で盛会におこなわれた。

2007年7月 5日 (木)

水つながり

昨日の雨で、九州、近畿、四国など相当な被害が出たらしい、渇水の心配がなくなる反面こうした事がおきるのは何とも言いがたい。

また、今日国会が閉会する。国会議員はこれで心おきなく地元に帰って決戦に備える事となる、正にこれからが本番だ。(選挙は水もの最後まで解らない)

本日14:00から、県南治水促進期成同盟会の総会に出席するが、その前に昨日の雨で以前指摘があった県道の歩道の水はけがどの程度だったか地先住民の方に聞き込みに行こうと思っている。

下記の写真は、過日行われた友人(支持者)の結婚報告会(披露宴ではない)で挨拶している時のものだ。楽しいひと時で水(酒?)に酔わせてもらった。

何となくそれらしく写っているのでアップする。

Photo_4

2007年7月 4日 (水)

榛松団地の調節池の続報

ここ数日、梅雨らしい気候が続いている。これで、各地の水瓶であるダムにも余裕ができるし、農作物の育ちにも季節感というのは大事なので少し安堵している。

さて、昨日小池百合子氏が久間防衛相の後任に決まった、年金問題が鎮静化する兆しの中でのこの問題は、自民党としてはまあまあ浅い傷でしのげたと言ってよいと思う。

榛松団地の調節池の続報

市の河川課から連絡が入った。暫定的な清掃をおこなった。また、沈澱しているヘドロ層を全て撤去するとなると相当な金額となり今すぐには難しい。

更に、ここにはフナなどが生息(放流された?)しており根本的な清掃をする事は近隣住民の意見も含め今後の検討課題としたい。との事であった。

いずれにしても、近隣住民の総意が大事だし今後に注視ししていくつもりだ。

2007年6月17日 (日)

自民党員大募集!

一連の年金問題で内閣支持率が下がる一方で、今年度の自民党員の党費(4000円/年)集金が始まった。

私も、自ら昨年増強した方々から今年も引き続き継続して戴こうと訪問集金をしている。幸いにも、快諾し党費をお支払い戴ける方々ばかりで本当に有難い。

こんな時期になぜ?と思うが今、自民党は党員を大募集している。党員になると自民党本部から広報誌が届く事と2年連続して党員になっていると、自民党総裁の選挙権を得る事が出来る。

戦後、半世紀以上に渡り”日本丸”の舵取りをして来た自民党を正に下支えする党員に是非ともなって戴くべく今年も私は増強するつもりだ。

追記:ブログタイトルとデザインを変えてみた!どうっ?

2007年6月15日 (金)

十字式健康普及会

最近、首と肩が凝ってしかたがない。毎日の睡眠も浅いので疲れが溜まっている。

自らの自然治癒力ではもう限界と感じ、先ほど十字式健康普及会に行ってきた。

十字式健康普及会

おかげで、随分すっきりした。(だったら早く行け!)

話は変わるが、今日、営業で初めて会った方から、議員をやっているならと「職業としての政治」マックス・ウェーバー著の本を戴いた。

認識不足も甚だしい私だが20世紀政治学の古典として有名な「君主論」マキャヴェリ著としばしば比べられる本らしい。

ぱらぱらと読んでみたが難しい。同じぺージを何度が読み反さないと先に進めない。でも、読まなければならない本であると直感した。

2007年5月29日 (火)

松岡農水相について

松岡農水相が亡くなった、しかも自殺。

政治とは、いつ何が起きるかまったく解らない。有象無象の世界である事が改めて証明されたような衝撃的な出来事だ。

国会議員として大臣まで登りつめた人が自ら死を選ばざるおえなかった心中を察すると哀れと言う言葉では言い尽くせない切ない気持ちになってくる。

私は政治(地方自治)に身を置く者として、いつでも公職を辞する覚悟をもって活動している。また、そうでなければならないとも思っている。

更には、自らの選択が間違っていたと判断した場合は、出来るだけ早急なる訂正をする事を信条としている。

時として、背負うものが大きくなればなるほど八方塞に陥ったと感ずる事もあるのかもしれなが、恥をさらしてでも生き抜く事が尊いと思う。

この最低最悪の結果から、世論の反応はどうか政局がどう動くか今後の政治動向に注視していくつもりだ。

2007年5月26日 (土)

英気を養う

今日は、選挙前から予定が入っていた、ゴルフコンペに参加した。ゴルフは、正真正銘1年以上もやっていない。

どうなる事かと思ったが意外と上手く出来た。(スコア108)

元来肌の色が白いので今日は、日焼け止めクリームを塗りたくって回った。(備えあれば憂いなし)

夜は、同級生の家族が経営している居酒屋で同級生が十数人集まり割り勘で市議板橋を祝福しようと飲み会を開いてくれた、郷土愛は美しく有難い。(少々酔った)

二次会では、80年代(ディスコ)の音楽に合わせて皆で踊った。25年以上前にタイムスリップした感じて懐かしくとても楽しかった。(誘ってくれたK君ありがとう)

英気を養うにはとても有意義な一時だった。

2007年5月24日 (木)

もろもろ・・・。

今日は、午前9時15分から川口市長との面会があった。

本年11月に地元榛松中学校の創立30周年事業がありそのご案内が目的だった。(同行者は、校長、教頭、PTA会長、本蓮町会長、榛松町会長、新堀町会長)

2007524

終了後、11時から仕事(不動産)の打ち合わせを1件済ませ、浦和のロイヤルパインズHへ向かった。

私にとって選挙を含め公私共に大変お世話になっている方の結婚報告食事会(決して披露宴ではない)だった。それぞれ紆余曲折を乗り越えてきた人生観が垣間見えた味わい深い素敵な食事会だった。

一度帰宅して、再びロイヤルパインズHに向かった。今度は、某ロータリークラブのパーティーが午後6時半から開催されるのでこれに出席する為だった。

2食連続して同じホテルの宴会料理は初めてだっだが、基本的にお肉を除いてメニューが違ったので両方共美味しく戴けた。

健康維持の為に、明日はプチ断食、夜はせいぜいお茶付けにするつもりだ。

2007年5月13日 (日)

充実!母の日

朝8時20分、新郷スポーツセンターに到着。先週雨で一週間延期になっていた新郷地区壮年ソフトボール大会の開会式に出席した。

開会式の挨拶では、選挙のご支援に対する御礼をおり込んだ。一回戦の表裏を観戦後、10時からの地元某中学の後援会設立に関する会議に出席する為に移動。

地元中学校の資金援助組織として、地域の方々に深いご理解を頂きながら運営していくにはどうしたら良いか?

一時間半、実りある会議であったと思う。

昼食をはさんで、午後2時より本蓮町会の定期総会が新郷公民館で行われた。ここでの挨拶は、選挙での御礼はもちろんの事、最近の話題としてブログでも取り上げた「ふるさと納税」制度について私見を話した。

午後4時から総会後の懇親会、午後5時から壮年ソフトボールの慰労会に引き続き出席した。

午後6時半頃会社に戻り、市政レポートのvol,11の原稿作成にあたった。我社は3月決算なので、毎年5月は多忙な日々を余儀なくさせられる。ましてや、選挙後であり今日も忙しく充実した一日であった。

そう言えば、今日は母の日。妻が何やら贈り物をしてくれたらしい。自分に余裕がない分、こうした妻の気づかいは、正直助かる。(感謝)

2007年5月 6日 (日)

政争について

選挙が終わって、さまざまな方々から選挙に対する感想や考え方をお聞かせ頂く機会がある。

今日もこんな一幕があった。(詳しい場面設定は秘密)ある先輩が次の様なニュアンスの事をおっしゃった。

「選挙は政争だ、4年間のケジメをつける大事な事。県会議員にしろ、市議会議員にしろ誰にするかきっちり決めてもらわなければならない。これは政争なんです。」

(候補者を公言して誰かに決めると、その他の候補を応援する人と一時的に政争(戦い)になる)

でも、選挙が終わればノーサイド。地域の人間同士、日頃の付き合いにもどる訳だから、遺恨を出来るだけ残さない様にしてもらいたい。これは、候補者として甘いと言われるかもしれなが切実に思っている。

選挙が原因とは言え、他人同士の人間関係に亀裂が入るのは候補者として心情的に耐え難い。(その分は仕事で返す)

議員として、地域の方々か信託を受け続ける為には、選挙を始め、あらゆる事を乗り越えていかなければならない。

自分で選択したこの道。全てを受け入れ、明るく前に進もう。

2007年5月 2日 (水)

今年も咲いてくれた!

Photo 当社顧問弁護士のH先生から頂いた会社に置いてあるサボテン君(なぜか男)が今年も見事な花を咲かせてくれた。

今日撮影しないと記録と記憶に残らない(会社は連休中)なので、この為に会社に出向いた。

普段自分で水をやっている植物が花を咲かせるのは、率直に嬉しいものだ。誰も見ていなくとも咲いていたと思うと、余計に愛おしく感じてしまうのは私だけではないはずだ。

そう言えば、選挙告示期間中、街頭演説を動員無しに27箇所で開催した。目の前に誰もいなくたって、家の中で誰かが聞いている!そう信じてやったし、雨の日はここぞとばかりに気合を込めて演説した。

それが良かったかどうかは解らない、でも、サボテン君のように花を咲かせた(演説をやった)事実は残っている。

一瞬無駄の様に思える事や小さな積み重ねが議員活動には大切だと私は信じている。

2007年4月28日 (土)

議員の責務

新郷地内のあちらこちらへ、当選の報告や挨拶に伺っている。結果的に票を伸ばせた、(3194→3918)”高得票での当選おめでとう”我が身の事の様に喜んで頂けるのは何よりも有難い。

しかし、喜んでばかりもいられない、4年後のスタートが既に切られている。市政の課題に取り組むと共にしっかりと議員としての責務を全うしなければらなない。

5月臨時会や6月議会も早々に始まる、日々の精進と努力がとても大切である事は言うまでもない。

2007年4月25日 (水)

日常に戻り、これまで以上に

選挙が終わって3日目、昨晩はようやく熟睡出来た。心身共に少しづつ日常にもどっていく事が心地よい。(おかげ様で良い結果がでたからだ)

しかしながら、事務所の撤収、経費の支払い、選管への事後報告、ご支援頂いた皆様へ結果報告の訪問。(宣伝カーでの御礼回りの様な違反はしない)

選挙後のやる事は、まだまだ沢山ある。

そして今後は、これまで以上に地域の為に働いていく。

2007年4月14日 (土)

明日からまつり事の始まり

今日先程、地元の祭りに関する会議で、選挙に対するお願いの挨拶をさせてもらった。

政治は”まつり事”私の一週間の選挙と言うまつり事が始まります。よろしくご支援をお願いします。と短刀直入に数分間の短い挨拶でまとめた。

これで、告示前の活動は終了した。

明日から22日まで、公職選挙法に関わる可能性があるのでブログを休みます。

23日に選挙結果のみ報告します。

市議選投票日まで・・・わずかあと8日。

2007年4月12日 (木)

宣伝カー納車

宣伝カーが納車された。15日から一週間私と共に戦ってくれるとても頼もしい相棒だ。もちろん、オートマチックでナビもついている。4スピーカーの大音量で時間と場所に応じて使い分けしていこうと思っている。

今は、雑多な用がありすぎで頭がぱんぱんだが、準備は選対スタッフのおかげで整いつつある。

Photo

2007年4月 9日 (月)

最低限で最高の結果

県議選が終わった、結果はご存知のとおりであり最低限の結果を出す事ができたのは何よりであった。しかし、党派別の得票数が市議選に反映すると仮定すると背筋が凍ってしまう事となったのも事実だ。

結果は結果として受け入れるしかない、自分達の選挙にこれをどう活かすかが問題であり課題である。

この結果を最高の結果とする為には、この経験をどれだけ活かせるかだ。

自民党として、確実に組織を見直すべきであろうし選挙活動のあり方を再検討する時がきた。

私の考えを短く言えば、民主党的な手法を自民党的にアレンジする。今回の選挙で実証したい。

2007年4月 8日 (日)

県議選投票日

今朝はとても静かで穏やかな天気だ。今日は投票日(県議選挙)。だが、きっと選対では、電話のかけまくりだと推察する。

投票日当日は電話で投票行動を促す事は許されているからだ。

果たして、期待する結果となるがどうか?おそらく夜10:30頃には当落が決すると思う。(注目南2区)

これが終われば、今度は市議選。今度は私自身がトップギアーに入れて22日まで走り抜ける番だ。

市議選投票日まであと14日。

2007年4月 6日 (金)

着々と戦闘モード

県議選と同時進行しながら、実は我が選挙事務所も着々と戦闘態勢に入ってきている。

電話、FAX、コピー、PC、プリンター、達磨、事務所看板(選挙法の為、告示までは、盤面を隠す)が今日設置された。

県議選についても、街頭演説の応援や宣車に乗ってマイクを握り口角泡を飛ばして訴えながら新郷地区を流した。

宣車で休まずしゃべりすぎだ為か喉が少し痛くなった。腹の底から声を出さないとすぐに声はつぶれる事を忘れていた。

だんだんと自分自身の気持ちも盛り上がってきた感じだ。

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2007年4月 5日 (木)

喋ってなんぼ

今朝、埼玉新聞に県議会選挙の終盤情勢が掲載されていた。2区については、「少数激戦しのぎ削る!」の文字が躍っていた。何としても自民党の2人には、高位当選を念ずる限りだ。

そんな2人の為に今日は、街頭での応援演説2回、公民館での個人演説会での応援1回をやらせてもらった。

政治家は、しゃべってなんぼ、どれだけ聴衆の賛同を得られるか、また心をつかめるかが勝負だ。県議選が終われば市議選がすぐにやってくる。

どれだけ、日頃勉強しているか、ボキャブラリーが豊富か、正確な情報を解りやすく説明出来るか、正に真剣勝負。

未熟者の私には納得のいく応援演説はまだまだである、ふがいなさと後悔の連続だ。

自分の選挙の時だけは、等身大の自分を精一杯表現できるように準備をしなければ、今回の選挙は乗り切れない。

2007年4月 4日 (水)

議員の力量

県議選も終盤に入った、7人の内から1人だけが落ちるサバイバルな選挙だけに自民党の2候補には絶対に勝ってほしいと思っている。

また、そうでないと次に控えた市議選にも弾みがつかない。引き続き2候補を猛烈に応援して行きたい。

さて、議員の力量を測る物差しとして、その議員が他地区でも当選出来るかどうか?議員をやめても別の環境で周りから認められる仕事が出来るかどうか?また、党派を変えて立候補しても当選出来るかどうか?この3点から見れば議員の力量が解るとある国会議員が言ったらしい。

なるほど、自分はどうか?仕事は大丈夫、何とかやっていける。他地区でも当選?自分の生まれ育った新郷だからそこ立候補した自分にとって他地区は考えられない。愛着と思い入れがあるからこそやれる仕事だと思うからだ。党派を変える?地域にとって一番最良な党派と自分の政治理念と合う党派がもし違っていたら・・・。難しいなぁ。

となると、自分は力量があるのかないのかよく解らない。いずれにしても有権者があと少しで決めてくれる。(市議選投票日まであと18日)

2007年3月29日 (木)

その日に集中

昨日は、選対会議の為の会議資料を51部、自らホチキス止めをした。

出来る事は何でもする、それが市議、だから忙しい。何か大きな盲点があって大失敗をしてしまうような不安感に駆られる時がある。

でも今となっては、自分を信じ、選対スタッフを信じその日、その日に集中して合戦に備えるしかない。

明日は、県議会のスタート(出陣式)だ。

2007年3月26日 (月)

女性の力

今日は、女性部の会議が開かれた。これから県会議員、市会議員と選挙が続く、いろいろな場面で役割りを担って頂くには充分な説明と事前のお願いが必要である事は言うまでもない。

昨今の選挙には女性の力がかかせなくなってきているのはご承知のとうりだ。

私の挨拶回りや、後援会の加入奨励についても女性陣の連携と言うか日頃の人付き合いの良さをいかんなく発揮してくれている。とても頼もしく有難い。

いざと言う時の女性の力は計り知れない事を痛感した会議であった。

2007年3月24日 (土)

7時間半!

今日の天気予報では、日中は晴れのち曇り、夕方から雨と風が強くなるとの事であった。

挨拶回りも午前中から飛ばして行った。歩く、歩く、妻も歩く。昼食時間を除いて、たっぷり7時間半は歩いた。

これだけ歩いたのは、今回の挨拶回りで最高記録だ。

とにかく有権者の元に伺い直接お願いをする。昔も今も変わらない単純で地道な最も効果的な手法だ。

市議選投票日まであと28日(1ヶ月を切った!)

2007年3月22日 (木)

等身大の自分

政治家の発言には常に責任が伴う。だからやたらな事は言えない、したがって後で逃げが利くような発言をついしてしまう。

”あちらを立てればこちらが立たず”いわば八方美人的な言いまわしだ。

議員になった最初の頃は、全てにおいて経験不足であり勉強不足。支援者から見れば私の言動は、さぞ危なっかしかった事と思う。

今の自分はどうか?ほんの少し解ってきたせいか、安全圏で喋っている自分に気づく時がある、聞き側から思えば、安定感はあるがインパクトが薄く、心に響いてこない、と影で言われているかもしれない。

少しは枠をはずれ、自分の言葉で大胆な自論を主張する事の方がその実現性は低くとも人間身が感じられ返って信用される事も多々ある。

さぁ、これからあちらこちらで発言を連発する(選挙告示期間内)結果は全て自分の責任。

この洗礼を受けてこそ次なる世界がやってくる。等身大の自分をどうやって売り込むかが問題だ。

2007年3月18日 (日)

必勝ビラ

今日も歩きました。一緒に歩いた方の万歩計から側聞すると1万歩は超えていたようです。

一日の挨拶回りを終えると、体の疲労感とは反比例して心の不安とストレスが解消していくのは議員本人でしか味わえない感覚かもしれません。

また、今日は一つチョンボをしてしまいました。朝出席するはずだった、町会行事の開会式をすっかり忘れてしまいました。手帳には時間も書いていて、前夜、町会幹部の方からも電話まで戴いていたにも関わらず、完全に意識が挨拶周りに集中していました。(やはり頭からこぼれています)

今回の選挙準備中、二度目の自己嫌悪に陥りました。

夜になって、ともゆき事務所を訪れる方々に選挙の意識付けをしてもらう為に、届いていた必勝ビラを貼り始めました。

これを貼ると選挙事務所らしくなります。

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2007年3月17日 (土)

家族の協力

今日も歩いた。有難い事に今回の選挙から妻も一緒に全ての地区で歩いてくれている。

挨拶回りをしていると、妻が同行している事に無表情で応対する人もあれば、敏感に反応する人もありさまざまだ。

ただ、大半の場合、妻も一緒に回っている事に何がしかの好印象を懐いてくれている事は確かのようだ。

はっきり言える事の一つに、家族の協力(母も他の場所でフル稼働)がなければ選挙戦は戦えない!そして、議員生活も成立しない。

2007年3月15日 (木)

後援会幹部の力

川口市内の全中学校では15日が卒業式となっている。私は、新郷地区内の東中と榛松中交互に出席をしている。今年は、榛松中に出席をした。

先週の高校の卒業式とは違い、中学校ならでわの初々しさがあり卒業生の涙もとても新鮮に感じた。閉式後、余韻を感じている暇なく早々に会場を後にした。

昼食を挿んで、午後から挨拶回りを後援会幹部を同伴に一定の地域を回った。何時も感じている事だが、支援者に同伴して頂けると訪問先ですんなりと抵抗感なくご挨拶とお願いができる。

こうした強力な支援者のお陰様で私が議員として存在している事をこの挨拶回りで再認識をした。(本当に有難い)

このところ日中の陽が延びたので今日は午後5時半まで回った。週末以外でこれだけ回ったのも今回では初めてだ。がしかし、選挙用に作った名刺(10000枚)はまだ半分もはけていない、まだまだ歩く事は続けなければならない、選挙で勝ち抜く(山頂まで)は遥か彼方だ。

市議選投票日まであと38日!

2007年3月14日 (水)

フットワークは生命線

最近は、とにかく歩いている。どのくらい歩いているか、どのくらい挨拶回りをしているかは書かない。

フットワークの良さは議員には必須要件だ。フットワークと言っても足が早く何処にでも行く身軽さだけではない。市民から受け付けた要望を即効で解決又は対応する素早さもこの中に含まれる。

今日も挨拶回りの最中に数件の要望を会うなり言われた。内容によっては期待になかなか副えないものもあるが最善を尽くしていきたいと思っている。

話しは変わるが今日は紫外線が少しあっただろうか、4時間以上も外にいた為か顔が日に焼けたみたいだ。

色の白い私は、ほんの少しの紫外線でもすぐ顔が赤くなって、お酒を飲んだみたいに見苦しくなってしまう。3月から日焼け止めを塗るのは何とも情けない・・・。

いずれにしても、フットワークの良さは議員にとって時として生命線に成りかねないほど重要である事は確かだ。

2007年3月13日 (火)

30万円の供託金

数日前、選挙事前説明会が開かれ報道によると、58人(58組)の参加者が集まったらしい。

我が陣営も私を含めもちろん参加した。選挙には法律的な事を含めて正式かつ厳格な規定が沢山あり、その提出書類も簡単なものではない。

ある程度は、選対スタッフにお任せする事になるが、私自身が責任をもってやらなければならない事で供託金(30万円)の納入がある。

まずは、書類を持って法務局を行き、その後指定銀行(川口では”埼玉りそな”のみ)で供託金の納入を済ませる。

前回は自分自身で供託を行ったが、代理人でも良いとの事なので今回は妻に任せてやってもらった。

供託とは一般に、賃料の供託(支払う意志を後日の為に公的に証明する目的)以外では馴染みが薄いと思われる。

選挙の場合、法的得票まで満たない場合は、供託金は没収されてしまう、泡沫な立候をさせない理由である事は間違いなさそうだ。いずれにしても選挙に向けて刻一刻と時が刻まれている事は確かだ。

2007年3月11日 (日)

いつの間にかサードギアー

今は、夜11時。ミルクティーを飲みながらこのブログを書いている。リラクゼーションとは程遠い日々を送っているが一杯のミクルティーがとても安らぐ。

それにしても選挙浸けとはこの事だと思う。土日の日中はとにかく歩く、歩く。月~金の日中は議会、挨拶回り、仕事(不動産)。夜はミニ懇などの会合や対策会議の毎日。

頭の中が、何時オーバーフロー起こしても不思議ではない。

考えてみると、いつの間にかサードギアーに入っていて、トップギアーにシフトチェンジするタイミングをはかっている状態だ。この時期から県告示までの期間が最も大事な期間でありこの期間の作戦(過ごし方)で勝負の大半が決まると言ってよい。

一番難しいと言われる2回目の選挙だが、2回目だからこそ使える作戦(秘密)の仕込み中だ。これが上手くいけば、ピンチをチャンスにひっくり返せる!

市議選投票日まであと42日。

2007年3月 7日 (水)

本音の会議

今日は、選挙を前提としての本格的な会議を開いて戴いた。結論から言えば、私にとってとても有難く有意義な会議であった。

当り触りのない、意見のまったく出ない会議だとすれば、連絡報告事項と同じである。喧々諤々、本音の意見を交わす事こそ真実味がある。

折に触れて言う事だが”板橋ともゆきは大丈夫だ”この言葉が飛び交う事こそが危険信号である。

板橋ともゆきは、まだまだ、動きが見えてこない。他候補に遅れをとっている。地域性があるので見方には多種多彩があって当然である。

それを受け入れた上で、前進するしかない。

市議選投票日まであと46日。

2007年3月 4日 (日)

話しの内容

2月中旬頃から、周末は一日数百件の挨拶回りをしている。ミニ懇談会や市政報告会も各地で開催してもらった、お蔭様で予定回数の半分を超えるまでに至った。

私は、ミニ懇や報告会では約30分くらい話しをする事にしている。

内容は、大まかに次の通り。

1.開催とお越し戴いた事についての御礼。

2.開催地区に対する私の感じ方と考え方。

3.市政に関するその各地での一番の関心事。

4.新郷全般の交通や都市基盤についての将来像。

5.最後に今回の選挙に挑む私の考え方とお願い。

話しが終わると質疑応答に入る、15分~30分。終了後、出席者全員を握手でお見送りをする。ざっとこんな感じ。

挨拶回りを午前、午後やって夜間はミニ懇。これが連日つづくと何処で誰と何の話をしたか記憶が錯綜してくる。

いかんなぁ、と思いつつどしてもメモが出来ない時はキャパの少ない頭に記録するのだがこれが不安である。

そんな時、一緒にいてくれる支援者幹部がとても心強い。

さて、明日から3日間、3月議会一般質問である。日頃の疲れは夜の睡眠で補い、真剣勝負の議会に備えるつもりだ。

2007年3月 2日 (金)

チラシとラブレター

今日は、午後のほとんどの時間を費やしチラシの原案を作成していた。

チラシの効果はいたって疑問であり、測定不能である。しかし、見ている人の過半数が「へぇ~」と作り手側の意図を一箇所でも感じとってもらえれば大成功。

ポイントは第1に鮮度、第2に解りやすさ、第3に写真、あまり書くと手のうちを明かす事になるのでここまで・・・。

チラシ作成は、ラブレターを書く事に似ている。なぜなら、自分の事を良く思ってもらえるにはどう表現したらいいのか悩むからだ。

この切ない作業は、ボリュームに関係なく以外と時間がかかる。(これもラブレターと同じかもしれない)

選挙前のチラシ作成はこれで終わりにしたい。

2007年2月24日 (土)

歩く、歩く、歩く。

今日は、朝から天気はいいが風が強く体感温度としてはちょっと辛い。

でも、歩く。歩く。とにかく歩く。一件一件。幸いに妻が同行してもらえるので助かる。支援者も同行して戴けるこれが心強い。

挨拶回り終了後、一息入れている時、同行して戴いたご婦人が今日一日で万歩計が10000カウントを超えたとおっしゃっていた。

自分もふくらはぎが少し張っていた。新郷地内全部を歩くと宣言した自分にとっては、まだまだスタートしたばかり、これからが本番である。

そして、夜も市政報告会が入っている。寒い中お越し戴く皆様にほんの少しでも心に響く話しが出来たらと思っている。

現在、17時09分。

2007年2月21日 (水)

大失敗!

ブログが2日間空いてしまった。書く時間がまったく無かった訳ではない。

人間は、さぼり癖と言うかほんの少しの油断から突然にエスケープをする事がる。また、元に戻るのに以前よりも増して多くのエネルギーを使わないと戻れない動物である事を再認識した。

体重の増え方とダイエットがその典型かもしれない。

さて、話しは変わるが今日は大失敗を演じてしまった。ある人との打ち合わせをまったく忘れていたのである。

午前10時、会社事務所で選挙告示期間に使う宣伝カーの業者との打ち合わせだった。

4、5日前にこの日時を決めた時に間が差したのか手帳に記入しなかったと言う失態を犯していたのだった。

午前10時20分催促の電話をもらって、一瞬何の事?はっと我に返り、思い出したのと同時に地中にめり込む程、落ち込んだ・・・。

打ち合わせ場所の事務所に大急ぎで向い45分遅れで到着。心からお詫びを申し上げて打ち合わせをして戴いた。

日頃、何かの日程が決まると、まず手帳に記入する事にしている。事前準備がいらない予定はほぼ手帳に記入する事で仮完了して、打ち合わせ時まで頭から外れる習性を私はもっている。(今回はこれにあたり、手帳に記入もれがある以上、どうにもならなかったのだった)

自分の記憶力を過信するがあまりの失敗に猛省している。選挙が近づくにつれてより余裕がなくなるのだから、とにかく”手帳にメモる”くれぐれも気を付けようと思った。

投票日まであと60日!

2007年2月14日 (水)

バレンタインデー(結婚記念日)

水曜日我が会社は休日。議員としての日々を送るさいに、会社が休日だと正直言ってホッとする。少なくても会社から緊急連絡(特にトラブル)がないからだ。

私の様な兼業議員は常に会社経営と折合いを付けながら頭の中でスイッチの切替えをしている。

会社で問題(大小を問わず)を抱えていてその解決策がうまく行かない時に議員として自信満々で地域についてのビジョンを語る時がけっこう辛い。

幸い今のところ大丈夫だ。これから選挙投票日まで会社の事に関して日頃よりも増して関われなくなる事が内心とてもストレスが溜まる。(有能な当社スタッフを信じるしかない)

今日は午前中銀行。正午から市議団会議。午後4時から告示中の選挙カーについて打ち合わせ。午後6時からお通夜。その後、ある会合に出席。

最後に遅い時間から14回目の結婚記念日(2月14日)を妻からチョコレートをもらいつつ、当分出来ないであろう外食ディナーを二人で過した。(選挙について現在の状況、今後の推移、戦略についてもじっくり話しが出来た)

あ~、それにして時間が経つのがめちゃくちゃ早い。

2007年2月13日 (火)

面会打率:7割8歩9厘

今日は、午前中から後援会長と幹事長が挨拶回りに同伴してくれた。一人で回るのと、後援会幹部が同伴してくれるのとでは意味合いが違ってくる。(幹部同伴の方がより公式な感じで受け止められる)

したがって、地域で役職を持っている方々には、このスタイルで伺うのが常道だ。そして、これを済ませる事で次のステップに移りやすくなる。更に不在宅に伺った形跡をさりげなく印象付ける事も忘れてはならない。

午後からは不動産業界の川口支部へ挨拶回りに伺った。その後、昔からお世話になっている同業者を回り新郷へ戻った。

まだ4時、これまで伺おう、伺おうと思っていて結果的に伺っていなかったり、訪問したが社長にお目にかかっていない優先度の高い事業所を回ってみた。

運良く全ての会社で社長にお目にかかれとてもラッキーだった。計算をしてみたら今日一日の面会打率:7割8歩9厘。なかなかの成績。(訪問先、訪問件数は書かない)

懸念材料は、2日前から少し風邪気味である事。いかんいかん気合が足りない。しっかり休息を取って明日にまた備えよう。

2007年2月10日 (土)

市民の負託に答える事

昨夜、自民党女性部の会議で新しい事務所を使って戴いた。言わば完成後初の公式使用だ。今後何年間議員をやらせてもらうかは解らないが私同様にこの事務所が地域の皆様に有効利用して戴き役立ってもらえれば本望である。

一夜明けて今日は、今まで挨拶回りで平日ではなかなかお目にかかれなかった個人宅に伺った。

やっぱり来たかと言うような歓迎の意を込めた微笑みで迎えてくれた人あり、いきなり地域要望を話し始める人あり、初めての突然の訪問にも関わらず居間に招かれ地域のさまざまな話しをして頂いた人あり、対応はそれぞれであったが総じて好感触だったと勝手に思っている。

地方議員はどれだけ多くの市民と対話をしているか、また市民の多種多様な要望をどれだけ受けとめているか、多分それらを念頭おいて議員活動を続けていく事が市民の負託に答える事に繋がるのではないだろうか。

新しい事務所ができ環境が整ったら、定期的な市民との対話集会&市政報告会を行っていきたいと考えている。

2007年2月 4日 (日)

集票の原動力は女性

今日は立春。天気は良いが朝から風が冷たく体感的にはちっとキツイ。午前10時に会社へ出社。スタッフと打ち合わせ後、午前11時からの本蓮町会本郷支部新年会に出席した。ここは私も所属する支部でお膝元であるせいか、ともてリラックス出来た。(正に”向う三軒両隣”)ゆえに閉会までお付き合いした。

午後3時から、後援会峰岸支部の新年会に出席。ここでは、これまでの感謝とめいっぱい選挙のお願いをした。ここの支部の他に類を見ない女性陣の団結力にはいつも驚く。場所に関わらず選挙に関する集票の原動力はとにかく女性の力が大だ。

午後6時、新堀町会いや、新郷地区にこの人あり。多種多彩な公職を歴任された重鎮、石井様のお通夜に参列した。夜になるといちだんと風が強く、寒さに凍えコートの襟を立てる姿が故人を偲ぶ思いと合舞って何やら寂しさを増幅させている様に思えてならなかった。

午後8時過ぎ、新しい事務所の備品について母と妻とであれこれ協議。小物の購入についてはまだまだ不充分だが細かく考えたら切がない。(折り合いが大事)

さて、明日は全員協議会(議員が全員集められ一つの議案について協議する会議)だ、詳細については会議後またの機会に。

2007年2月 2日 (金)

選挙を戦う為の気概

今日は、午後7時から本蓮町会役員会と消防団第6支団(新郷地区)新年会があった。

年が明けて初めての役員会なので、本蓮町会役員会を優先した。開会後始めに挨拶をさせて頂いて、すぐさま新年会会場へ向かった。7時40分頃に到着。早々に挨拶をする事になり消防に対しての持論を少し話した。(意外と受けた)

一息付いた後にお酌に回った。以前にもブログに書いたが「板橋さんは、大丈夫だよ。」この言葉ほどいやなものはない。自民党新郷連合支会が組織を上げて応援しているからなどと思っていたら足元をすくわれるに違いない。

「板橋智之は、組織にあぐらをかく事なく、地道に愚直に事を進めている。とっつあん坊や見たいだけど、あいつはひとりになっても最後までやる気だ、そうした気概が感じられる!」と認めてもらって初めて選挙が戦えるのではないだろうか。(応援をしてもらえる)

話しは変わるが、今日は午前中から新事務所への什器の搬入やらアスクルで発注したロッカー組立など慣れない作業をしたので肩がパンパンに凝ってしまった。今夜はゆっくりお風呂につかりまた明日に備えよう。

2007年1月28日 (日)

市長・代議士・両県議を前にしての挨拶

早いもので、今日は私の議員としての師匠である故山﨑幸一先生の七七の法要が行われた。これまでの感謝の意を込めて焼香をさせて頂いた。(午前11時~)

その後、午前12時から、佼成会新郷支部の新年会に出席。とても盛り上がっていた。(カラオケで”涙そうそう”を唄った)

午後2時半。町会主催の子供達による書初めコンクールの表彰式に出席。子供達の作品(書道)を拝見して、優秀な作品への表彰状を子供達に直接授与させてもらった。

午後4時会社へ戻る。スタッフとの仕事(不)の打ち合わせもそこそこに午後5時からの自民党新郷連合支会の新年会に出席する為、会場へ向かう。

Pim0001 会場には、岡村市長、新藤代議士、奥ノ木・田中両県議の4人が勢揃いした。今年数ある新年会でこの4人を前にして初めて挨拶をする事になりとても緊張した。(我ながら下手くそな挨拶だったと思う)

挨拶は、聞いている人の中に誰がいるかでその緊張感が極端に変わってくるものだ。(未熟者の自分に腹が立つ)

また、この新年会では今年既に何回も会っている人達ばかりである。なぜなら、今春の選挙に向けた会合が活発である事がその理由だ。

今日は会合でなく新年会。限られた時間であったが出席者の皆様とお互い胸襟を開いた深い話しが出来たと思う。

2007年1月25日 (木)

商店街への援護策とは

朝9時に私は役所にいた。どうしても、朝一番で担当部局と打ち合わせをしなければならなかった。

内容は書かないが、担当者は、概ね私の考えを理解してくれたと感じた。後は目的が達成されるべく見守るしかない。

その後、10時半に不動産の仕事で、ある顧客先へ訪問。約30分程の交渉(金銭的提示)をした。明日につながる話合いが出来た。

午後1時より、農事関連の新年会に出席。短めの挨拶の後テーブルを回った。お酌をする際に小声で「応援してますよ」と言ってくれる方がいた、本当に有難い。

午後3時、建築中の新事務所を見に行ったところ大工工事と電気工事をやっていた。ちゃくちゃくと進んでいる。

OKだ。

午後4半頃からPCに向かって後援会用内部資料の作成に入った。意外と早く出来たので早速、幹部に持参した。事務所に帰りがけある支援者宅にご挨拶に訪問したが三度目の不在だった。どうしても会いたい。次回は方法を考えよう。

午後7時半、東本郷商店会の新年会に出席。挨拶後にテーブルを回ったが出席者の皆さんは商売をやられている方々なので経済政策についての話題が多く出た。地元商店街に援護策を撃ちださなければ議員の存在意義も問われる事が解った。

今日のブログ「くすの木」は以上。今日も爆睡出来そうだ。

2007年1月21日 (日)

攻め続ける事。

今日は、5件の新年会に出席した。2件の新年会で新藤代議士とご一緒させて頂いたが、2件共、私がいる前で、「市議会議員には、板橋さんをよろしくお願いします」と言ってくれた。こうした配慮はとても有難くこれからの選挙を勝ち抜く為のエネルギーの源となる。

さて、今朝テレビで卓球の愛ちゃんが国内戦で負けた事についてコメンテーターが次のように語っていた。

卓球と言うスポーツは、一瞬の判断が勝負の分かれてめを左右する。愛ちゃんは、海外ではチャレンジャーなので守る事なく攻め続けられる為に成績が良い。しかし、国内では王座を守るがゆえに攻めに徹する事が出来ない心理状態にある。特に国内では相手は格下なので捨て身で攻めてくるのは当然、これを迎え討つ側は辛い。

選挙の戦いも同様だ。選挙には魔物が住んでいる王座などいない、チャレンジャー精神で勇気を持って攻め続けよう。

2007年1月19日 (金)

駅頭との違いは”お酒”

1月だけで34箇所の新年会がある中、今日で19箇所が終わった。また、新年会以外でも会議の後、懇親会になる会合や、有志の集まり等は含まれていない。

地域性があるが、自民党同僚議員の中で数的には少ない方だと私は思っている。

これが、ひとつの議員活動の一端であり。毎朝駅立ちをしてマイクで訴える駅頭と対極的な活動である事は言うまでもない。

諸会合(特に夜の宴席)に出る事が多い私のような議員と、駅頭を主体とする議員との相違点のひとつは”お酒”だ。

人間の体内にアルコールが混入すると、人はいろんな意味で胸襟を開く。(こっちは、自動車の運転がある為ノンアルコール)しっかり聞いておかなければならい話。受け流す話。その場で返答を返さなければならない話。(本気、本音、冗談、様々)また、その場で住所、状況、数値等をメモして事後の対処をしなければならない話。

議員とは、こうした許容性をも要求される職業(職業と言える?)だと実感する日々がまだまだつづく・・・。

2007年1月18日 (木)

今はローギア。

昨夜は、午後5時半のお通夜からスタートして、宅建支部・組合合同新年会、RCクラブ合同新年会、YEG役員会(懇親会含む)と短時間で動きまくった。

ちょっと困ったのは、後の3件が全て中華料理だった。まさか、一日で3箇所のエビチリを食べようとは・・・。最後のYEG懇親会では、不覚にも同僚の某議員と一緒に盛り上がってしまった。(反省)

そして今日は、新郷地区の超有名人宅(2件)へそれぞれ挨拶回りとして訪問した。両者の大先輩から、「こんど板橋さんは、上位当選。」的なお言葉を頂いた。これに対して、即座に「そんな事、ぜんぜんありません。これまで以上に引き締めて挑んでいきます。」と答えた。

こうした言葉は、多少は嬉しいが反面ぞっとする。選挙戦は何が起こるか解からない未知の世界である。とにかく1月は面では動かず点で動く。自動車で言えば今はローギアの状態。2月からセカンド、サードそして3月はトップに入れていく考えだ。

あっ、もう時間がない。これから、今夜の新年会に出発だ。

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