気仙沼を見てきた
「百聞は一見にしかず」自分の目で確かめる事がなにより勝ると思い、被災地に行く手段はないかと模索していた最中にその好機が訪れた。
津波と火災による大きな被害があった気仙沼の地元消防関係者が現地を案内してくれる事になった。
数人の同行者と共に一ノ関まで新幹線を利用し、そこからレンタカーで一路気仙沼を目指した。
一ノ関から一般道を片道約1時間半、平穏な街並みから一瞬にして被災された悲惨な光景が我が目に飛び込んで来た。
私達は、消防本部に到着後、まずは関係者から震災発生直後から今日までの現地の様子を伺った。
津波で燃料タンクが破損し押し流され、海水に流れ出した燃料に火がつき、瓦礫と共に燃え上がった火の海があたり一面に上げ潮、引き潮に合わせ移動していたと言う。
当時の津波による火災現場の写真を拝見し絶句した。
その後、避難所、被災現場を説明を受けながら案内をして戴いた。
港を中心に海抜が低いと感じられる地域ほとんどが津波と火災で瓦礫と化している光景はテレビと一緒、しかし、その広さがあまりにも広大で言葉を失う、表現は適切ではないが、戦後の焼け野原を映画セットで再現したかの様に感じられ現実を受け入れられない自分がいた。
案内途中の2時46分。奇しくもその日は11日、震災後2ケ月目の黙祷が始まった。その場にいた居合せた国民のひとりとしてこれに加わった。
自治体における危機管理がどうあるべきか、想像を絶する天災に備えるものは何なのか精神性をも含めた広範囲な研究と議論が必要である事は間違いない。
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